救世主眉毛
目が笑っていないと幼少期よく言われたものだった。その時は目が笑っていなくとも口が笑っていればわかるからいいじゃないかと思っていたが、コロナ禍によりそうも言っていられなくなった。そう、マスクだ。目が笑っていない人間がマスクをつけて笑うと、ただの笑っていない人になる。笑い声だけが聞こえ、相手からしたら軽くホラーなのだ。今日だって、公園で遊ぶ子どもを微笑みながら見ていたら「そんな親のかたきかのような目で子どもを見つめるな」と注意されてしまった。通報される日も近い。
そもそも「笑う」という表情だけでなく全ての表情が下手なのだ。神は我に表情筋を与えなかった。中学生のころ、好きな人を見ていたら「虫けらを見るような目で見ないで」と相手から言われたのはいい思い出だ。
表情というものは生きていくうえで大事である。真逆の感情が相手に伝わってしまうのは避けなければならぬ。そこで私は考えた。眉毛だ。目でも口でもなく、眉毛で物を語ればいいのだ。海外のドラマを見るとつくづく思うが、あちらの方々の眉毛のなんとダイナミックな動きをすることか。驚くべき可動域である。きっと欧米には「眉は口ほどにものをいう」ということわざがあるのだろう。
というわけで私は眉毛を鍛えることにした。眉毛を動かすにもそれなりの筋肉が必要で、表情筋が死んでいる私にとってはなかなかに至難の業だ。しかし毎日のイメージトレーニングと鍛錬を重ね、少しずつ私の眉毛は意思を持ち始めてきた。やがて眉毛だけで会話に参加できるようになる日がきっと訪れるだろう。
ニンジンの皮をかぶった侵略者
一人暮らしが寂しいので、切り取ったニンジンのヘタの部分を水につけ、きゃろぴーと名付け可愛がっている。無事に鮮やかな緑が芽生え、すくすく成長しているのは喜ばしい限りだ。
しかしきゃろぴー君、きみ成長が速すぎやしないかい?
私の記憶ではきゃろぴーが誕生したのは先週の金曜かそこらだ。日曜日に気づいて写真を撮った時には既に4cmは芽が伸びていた。
現在水曜日、気になる長さはなんと14cm!なんとまあ。
誰か教えてほしい。ニンジンとは3日で10cmも伸びるものなのか?これが普通の成長速度なのか?この調子できゃろぴーが成長すると我が家はニンジンに支配されることになる。一緒に過ごし始めて1週間たたずして、もう帰宅するのが恐ろしい。こいつ見るたびにデカくなっていやがる。
真に恐ろしいのは、私は出かけるときカーテンを閉め切って行くということだ。つまりきゃろぴーは薄暗い部屋の中ですくすく成長していることになる。
お前、光合成はどうした?ネットによるとニンジンは強い日光が必要らしいじゃないか。さてはお前ニンジンじゃないな?
いったい何の栄養をもって成長しているのだきゃろぴーは。不味い水道水しか与えてないのに。友人が言うところには、きゃろぴーは私の生命力を吸収して成長しているらしい。どうりで最近食欲が収まらないわけだ。
はじめは、名前なんて付けたら愛着がわいていざとなった時食べられない。そう考えていた。食べられない。それは事実だ。しかしわいたのは愛着ではなく恐怖だった。
誕生日が覚えられない
誕生日が覚えられない。自分のも他人のも。もちろん自分の生まれた日は知っている。だが私には誕生日が四つほどある。五つだったかもしれない。問題は誰にどの誕生日を教えたのかということだ。
「君って誕生日いつだったっけ?」
生きていればこの質問は一年に何回かされる。相手が自分に初めてその質問をしてきたのだったら、落ち着いて好きな日付を答えればよい。だが相手が以前にもその質問をしていた場合、これは要注意だ。ここで以前と違う日付を答え、相手が後で気づいた場合厄介なことになる。しかし焦って、
「ええ~いつだったかなぁ~」
などと言ってはいけない。こいつは自分の誕生日すら覚えていないアホだ。そう思われる危険性がある。
だがしかし観念して本当の誕生日を言ってもいけない。誕生日当日に
「おっめでとぉ~う!」などと勢い余って渡された花束の中に蜂がいたりでもしたら、その日は一日悲惨なことになるだろう。自分の誕生日くらい邪魔しないでくれというものだ。
なぜ誕生日を当日に祝う風潮があるのだろう。イエスキリストの誕生日だって前日にお祝いするではないか。祝うという行為自体は変わらないのだから、本人の希望する日に移してやってもいいのではないか。いっそもう統一しよう。
母の日というのはいいものだ。街中の店が数週間も前から騒ぎ立ててくれるから忘れようがない。私にとって一番覚えにくいのが母の誕生日である。6月の15日から29日くらいの間にあることは知っている。その間のいつなのかが覚えられないのだ。その期間は幼少期からずっとそわそわしている。だから母の誕生日は母の日にお祝いするようにしてほしい。切実な願いだ。
母の日、父の日、こどもの日。それに加えて祖母の日、祖父の日、友人の日、残りの人の日、ペットの日。これくらい作っておけば問題ないだろう。全人類がこの決まった日に決まった相手に誕生日プレゼントをあげるようにすればいい。店もキャンペーンがやりやすくて嬉しいだろう。
恋人の日がないとか夫婦の日がないとか家族一緒にお祝いができないじゃないかとかそんな意見が聞こえてくるかもしれないがそんなことはどうでもいい。だれか私を誕生日問題から解放してほしい。