救世主眉毛

目が笑っていないと幼少期よく言われたものだった。その時は目が笑っていなくとも口が笑っていればわかるからいいじゃないかと思っていたが、コロナ禍によりそうも言っていられなくなった。そう、マスクだ。目が笑っていない人間がマスクをつけて笑うと、ただの笑っていない人になる。笑い声だけが聞こえ、相手からしたら軽くホラーなのだ。今日だって、公園で遊ぶ子どもを微笑みながら見ていたら「そんな親のかたきかのような目で子どもを見つめるな」と注意されてしまった。通報される日も近い。

そもそも「笑う」という表情だけでなく全ての表情が下手なのだ。神は我に表情筋を与えなかった。中学生のころ、好きな人を見ていたら「虫けらを見るような目で見ないで」と相手から言われたのはいい思い出だ。

表情というものは生きていくうえで大事である。真逆の感情が相手に伝わってしまうのは避けなければならぬ。そこで私は考えた。眉毛だ。目でも口でもなく、眉毛で物を語ればいいのだ。海外のドラマを見るとつくづく思うが、あちらの方々の眉毛のなんとダイナミックな動きをすることか。驚くべき可動域である。きっと欧米には「眉は口ほどにものをいう」ということわざがあるのだろう。

というわけで私は眉毛を鍛えることにした。眉毛を動かすにもそれなりの筋肉が必要で、表情筋が死んでいる私にとってはなかなかに至難の業だ。しかし毎日のイメージトレーニングと鍛錬を重ね、少しずつ私の眉毛は意思を持ち始めてきた。やがて眉毛だけで会話に参加できるようになる日がきっと訪れるだろう。